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「 N-W-Mをつくった男たち その① 梅田 晶編 」

 前にご紹介した、「ネットワークミーティングの仕掛け人」梅田晶と僕の出会いは、

およそ今から15年前に遡る。

 最初の遭遇は、高校卒業後、進学した福祉系専門学校の専攻クラスが

同じだったのがきっかけだ。

 僕から見た梅田の印象は、

 ピアスに茶髪で、さっそうと原付に跨るアメカジ系… 

確かそんな感じだったが、入学1年目の夏、僕はそんな彼の違う一面を知ることになる。

 僕達は専門学生と同時に京都B大学の通信教育生として、ほぼ毎年、

京都B大学で2~3週間の夏季スクーリングを受講していた。

夏休みに通信とはいえ、「大学生になる!」にわかに期待で胸が膨らんだ!(なんでやねん!)

しかし、そこへ待っていたのは、とてつもなく長い授業とテストに課題。そしてレポートの山… 

周りの大学生達が、「海だ、山だ」とはしゃいでいる間、みっちり朝から晩までそれを

こなさねばならなかった。

期間中はビジネスホテルなどに素泊まりし、大学へと通う、まさに地獄のロード・・・! 

 なーんて当時は思いながらも、今となって、あの時の思い出は、今でも共通の

貴重な財産となっている。

京都B大学は僕と梅田にとって第2の学び舎でもあるのだ。

 少々説明が長くなってしまったが、そんな全国津々浦々から数百人が参加する

スクーリングで、偶然にも僕は梅田と同じクラスになることがあった。

確か社会福祉学原論だったか…。

グループワークの授業で、梅田の発した

 「福祉は今や国の大事な産業や!」

見ず知らずの学生たちの前で、堂々とズバズバ言ってのける姿が今でも

強く脳裏に染みついている。

梅田って奴はみかけによらず、頭のキレる優等生じゃん!彼への印象は大き変わった。

 その後4年間の青春時代は幕を閉じ、社会へと進んだ僕達… 

僕は何度も遠回りをし、今の職場にいた。

 そんな時、再会は思わね形で実現した!!

28歳の春、場所は市内の研修会場だった。

彼は少し恰幅のいい、さらに堂々たる姿へと変わって見えた。

すでに結婚し、デイサービスの管理者をしているという。

僕はあの時、同僚が地元広島で頑張っているのを知り、とても嬉しかったのを覚えている。

 それから梅田とは何度か飲みに出かけたり、仕事で関わりを持つ中で、

「今度ネットワークミーティングっちゅうのを企画したんよ、協力してくれんか?」

と誘われた。協力といっても僕は署名しただけ… 

 それにしても彼の発想と行動力は当時記憶していた「アグレッシブ梅田」そのままだった。

 突然訪れた不思議な縁が、僕の人生に思わぬ方向で作用した。

 梅田と出会い、そしてネットワークミーティングに参加する多くの方々との出会い… 

今、とにかく僕はこうして彼と仕事ができる事をとても誇りに感じるのである。